プライドでニートを生きている人って意外と多くない?
これは嫌味とかそういった意味で書いているニート批判ではなく、自分の気持ちからきている率直な自分への思いみたいなもんです。
自分自身正直に言ってプライド、自尊心、見得とか高い方だと思っています。負けず嫌いとかとも言うのかもしれません。実際負け組となってますが・・・。
正直ニートになる前は自分は勝ち組に入ったかなと思っていました。
小学校や中学校のクラスで言えば3本、いや5本の指には入る収入や社会的ステータス、名誉、名声、等々を手に入れたかもと20代の頃は思っていました。
それらは全て自分が手にしたものと言うよりは偶然運よく入社した会社自体がそうだっただけだと今となっては思っています。いや、当時もそう思っていました。
そこから転落、転落、ローリングストーンズを繰り返す事30代になって無職ニートになってしまうのですが、いかんせん自分に中流というものがわからず妥協点を見出すことができない。
妥協点がわからないまま転職・就職活動をしているもんだから当然どこも受からない。学歴だって中途半端。職歴だって中途半端なのをわかっていない。
いや、それもわかっているのだけれどやっぱり自分の中で諦めがつかない。
自分はすごい人間なんだって今でもちょっと思っている。
これはプライド?見得?なんなんだろう・・・。
そうでも思わないと報われないという自分の身を守る本能なのかもしれない。
確かに不遇な学生時代を過ごしてきた。特に中学校は今思い出しても悲惨な学生生活だった。・・・ような気もする。
ような気もすると思っている事こそプライドが高い証拠だ!
そうだ、そうなんだ。
自分は不遇な学生時代を過ごしてしまって、20代で社会人になってやっと報われたと思ったのに30代になってこの人生は一体なんなんだ!
そう心の中できっと叫んでいるのだ。
はっきり言って外部の人達からすればそんなの関係ない。それは自分もわかっているのに切り捨てられない繋がりが人生の中にはある。っていうかそれが個人の人生というもの。それによってニート脱出不可能になっているんじゃないかと最近思う。
はぁ・・・。人生ってうまくいかんよなぁ。
ついついため息が出てしまう。
こないだM-1があったようだが(見ていない)ああいうのだって何組も何百組も売れる芸人を目指す中で注目されるのはほんのわずかなコンビだけで、一見華やかな世界に見えるけど広く見れば自分の人生と同じように多数の負け組の中から突出した人たちだけが注目されてる世界なんだ。まぁそんなの今更改めて書く事でもないんだけど。
こうやって考え直すきっかけをあたえてくれたのがM-1だった。
ピンキリどっちかとかじゃなくて、それなりに働いてそれなりに収入を得る事で納得しなければならない年齢になっているんだと認識し直す事が必要だと思った。
勝ち組に拘ってプライドだけでニートでいる事に気づいたような気がした。
自分みたいなちっぽけなプライドでニートをやっている事と、大きな目標を掲げてお笑い芸人目指してる人を比べたら罰が当たるのかもしれないけど、なんとなく似ている気がしてしまった・・・。
ニートの世界へどっぷりと
ぶくぶくぶく・・・
溺れて沈んでいくような苦しさを感じる。
胸のあたりが押しつぶされるように苦しい。
サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ♪とはよく言ったもので、サラリーマン時代がいかに恵まれていたのか今となっては懐かしむしかない。
僕がニートになってしまったのはもう1年も前の事。当時はサラリーマン時代の実績もあったし社内でそれなりに仕事もできていた(と思っていた)ので転職してだって何処でだって稼いでいける自信があった。
それから自身に見合う事の無い転職活動を続けていくことになってしまう。なまじ前職の給料が良かっただけに妥協を許すことができなくなってしまっていた。
ニートとは就職活動もしていない人の事を指す言葉であるはずだが結果の伴わない就職活動を延々と続けている僕はニートなんじゃないかと思う。
実際に日々の生活はインターネットをしている以外にほとんど無に等しい。
パソコンとスマホが無ければ何もやる事がなくなってしまう生活は、それを取り上げられることに恐ろしい程の不安を感じる。一言で言えばネット依存症なのかもしれないが、仕事をしていない僕はネット以外で他人と通じる事はできないのだから仕方ないのだと思う。
サラリーマンを辞めてしばらくはバカンスのつもりで休日を謳歌していた。朝の時間を気にせずに寝ていられることがこんなに気持ちのいい事だとは思わなかった。
でもただそれだけだった。
テレビを見ていてもネットで動画を見ていても、本を読んでいてもスマホで掲示板を見ていても、何をしていても段々とむなしくなってくる。
日々進むむなしさとの戦い。その何とも言葉にしがたい不安感に負けて僕は生まれて初めて精神科へ通院する事となった。
病院でのアンケートによくある「死にたいと思う」という項目に〇をつけた。
今まで生きて来て死にたいなんて思った事は一度も無かったし、生きてる中で、できるだけ楽しんで生きてやろうと思ってこれまで生きてきたつもりだったのに。
家に引きこもって目標も目的も無く生活していると死にたいと思うんだ。
だって生きている事に意味が無いんだから。
これが例えば学生や会社員だったり組織の中で生きている人間ならそんな自分勝手な事考えるなよ!と一喝してやりたい。「自分一人じゃないんだ」と言える環境にあるんだから。
でも今、僕は自分一人になってしまった。少なくとも自分自身ではそう思う。
過去の交友関係は全部無くなった。携帯電話の番号も住所も変えてSNSだって全てやめた。
今の自分には過去のしがらみが全く無くなったのだ。
過去のしがらみが無くなって気楽に生きていけるニート生活のはずだったのに、それが余計に死にたいと思う感情を湧き上がらせてきた。
これだけ「死にたい」と書いても僕は死ぬことはないだろう。
死ぬならサラリーマン時代に保険にたっぷり入ってた時期に死ぬチャンスはあったからだ。
よく保険会社の友達と冗談で
「死ぬなら車で事故って死んだ方がいいね、自動車保険と生命保険といっぺんに入ってくるから残された家族も助かるでしょ」
と話していた事を思い出す。
今は生命保険も解約してしまったし車も売ってしまった。財産なんか何もない。
死ぬならあの時に勇気をもって死んでおくべきだったなと後悔してしまう。
でも死ねなかっただろうな。勇気が無いんだもん。
死ぬ勇気ってなんだそりゃって話だけれど、ぐだぐだと生きている自分には何か行動を起こす勇気ってものが無いんだ。
精神科でもらった薬を飲みながら安定しているのかどうなのかよくわからないままニートの世界へずぶずぶに浸かっていく。まるで沼地を進んでいく人生のようだ。
「ニートって辛いんだなぁ」
自分自信がニートになって初めて感じた事だ。
サラリーマンなんかよりももっと気楽なもんだと思ってたのに。
ニートは自営業のように自分自身を管理して生きていかなければならない。そこが一番つらい部分なのかもしれない。サラリーマンであれば毎日のルーティンに合わせて生活していくためある意味「生きる」という上では考える事が少ない。
何にも考えなくてもそれなりに不自由なく生きていけるから。
こんな事書くとサラリーマンだって仕事してる人はみんないろんな壁にぶち当たりながら人間関係にも悩んだり仕事も悩んだり大変な事は山程あるんだ!って言われそう。
でも僕が10年以上働いてきて感じた事はもちろんサラリーマンとしての悩みや大変な事もたくさんあったんだけど、少なくとも「生きる」って事が何なんだろう?みたいな悩みは感じたことは無かった。
ニートの悩みは生きる事をどうするのかっていう漠然とした悩みだ。
きっとニートブロガーの多くの人も自分のどこかの時期に戻りたい、戻って人生をやり直したいって思っているはず。もしくは人生が始まらない世界になってくれればと思っている人も多いかもしれない。
僕は戻れるならいつからがいいかな。やっぱり小学生からがいいな。
中学生になると辛いカースト制度が始まるから本当に気楽な小学生がいい。
でも本当はちょっと前でもいいから戻って欲しい。
5年前でも10年前でも、社会人になる前でもいいから戻って欲しい。今が一番辛いから今じゃなきゃいい。
今を一番つらい時期と思っているとまるで将来に希望があるようで自惚れているかな。
これからもっともっと年を取ればとるほど辛くなってくるんだろうな。